僕の過去➁
こんにちは
前回の続きです
食の深さ
そう、世界中どこでも働けると思って料理人になることを決めた僕は沖縄にある京風の焼き鳥屋さんに面接に行きました
その理由は自分の居場所を決める為だった。。。
雪山を降りて夏の間沖縄で過ごした僕はサーフィンに没頭していました
けど次の冬のシーズンは北海道でスノーボードをすると決めて沖縄にきた僕は「北海道に行かなきゃ」と思う気持ちと「サーフィンをもう少し乗れるようになりたい」と思う気持ちで迷っていました
なのでこの年の秋にいいと思った焼き鳥屋さんに面接に行き
・受かったら沖縄
・落ちたら北海道
と決めて面接を受けました
今考えたら”今の師匠”こんな面接の仕方をしてすみません
だけど料理を本気でしたい気持ちに嘘はありませんでした
なんと結果は沖縄に住む事になりました
これが僕の人生の第2章みたいなターニングポイントになりました
この焼き鳥屋さんは小さく僕が入った時ほぼ2人で切り盛りするお店で
お店のオーナーシェフとその親友でもあり相方の2人でお店を回していてその二人は言葉ではなく阿吽の呼吸で動いていました
それもそう、僕にとって人生と料理の師匠となるこの2人はカナダで何年もずっとスノーボードしていたコンビだったのです
オーナー夫婦が沖縄移住を決めた時に親友であり料理人であった相方を呼んでお店をオープンさせたのが始まり…
まーここではよく怒られよく遊んでもらい
人格まで変えられたような感じです笑
それが大きなターニングポイントでした
ここのお店は少し変わっていて、技術はもちろんなんですがとても、
自分の持つ気持ちと
お客さんの持つ気持ちを
大事にしていたのです
自分がお店に出勤した時から、大げさに言うと朝起きた時からお客さんのへの”おもてなし”がスタートしていて”気持ちで伝える目に見えない”部分にフォーカスしていたのです
自分とお客さんの潜在意識まで考慮し
日本昔からあるおもてなしの心・神道・量子力学の世界観も重視してました
食から人の人生まで
それから勉強させてもらったのが
食事と身体の関係でした
それというのも料理をする上で東洋医学の観点から物を見た料理法と思考も取り入れていた事です
・人間の身体はひと時も休む事なく常に細胞が入れ替わっていてその細胞を作っているのは自分が口したものというような考え
マクロの視点からお客さんの口に入れるもを考えていたため僕はだんだん東洋医学と食事と病気との関係に関心が行きました
沖縄はもともと民間医療の独自の文化もあったみたいで東洋医学の診療所がいくつかあり実際話を聞いたり受けたりして
「普段食べている物と病気の関係」
「普段食べている物を変える」
のが根本的な部分になっているということを知りました
それを知った時に脳裏に浮かんだのが家族の病死でした。。。
「もしかしたら他の治療をする選択肢があったのではないか?」
「守れる命ももしかしたらあったのでは?」
と。。。
それらのことに興味を持った僕は根本となる食べ物と自然栽培を体験したくなり
オーナーに無理を言ってお店を抜けてオーガニック先進国と聞いたオーストラリアに行く決意をします
補足※オーナーの相方も東洋鍼灸師になる為お店を僕より1年前に抜けている笑
この話は素晴らしいので後で記事で書きたいです
人の根本となる食べ物を求めて日本を出たのですが。。。
続きます